馬場雄一 路上日誌

2005年 5月 1日 (日)  歌い続けたい。
ライブで枯れてしまった喉を休めないといけないし、時間があったので、今日は久しぶりにたまってた曲の編曲をした。DTMと言ってパソコンでドラムのパターンを打ち込んだり、ピアノやベース、他にも色んな楽器を重ねて行く。俺もこのアレンジ方法は何年もやってる訳じゃないので、まだまだ勉強中だ。
以前はプロとして歌をやって行く事しか考えてなかったが、ライブ活動を続けて行く内に、歌う事で人に勇気を与えられる素晴らしさを実感。仕事としてやって行きたいと言う思いと共に、仕事に出来なくても、他の仕事をしながらでも歌い続けたいと言う思いが湧いてきた。ライブハウスに俺の曲が聞きたくて足を運んでくれる人が少しでもいる限り歌い続けたい。だから、以前は作詞作曲しかやらなかったが、将来、たとえ一人でも音を形に出来る様に編曲と言うモノを始めた。
辛い思いもたくさんあるけど、こんなに一生懸命になれる夢が見つかってホントに良かった、心から思う。

2005年 5月 2日 (月)  旅回想
事務所に行って、旅中にお世話になったラジオ局や出版社の人達にお礼の手紙を書いた。何十通とあるが、心を込めて1枚ずつ手書きで書く。俺自身、年賀状とかでも、大量生産された様なやつだとあまり嬉しくない。やっぱりヘタクソでも手書きの方が心があって嬉しい。今日は時間の関係で十数枚しか書けなかったので、後は家で続きを書こう。
 事務所に行く前に旅で撮ったカメラを現像にだした。忙しくてあまり撮れなかったが、写真を見ると何か懐かしい様な不思議な気持ちになった。上手く言葉に出来ないが、まるで青春時代を振り返った時みたいな感覚だ。
 それと、旅中に盛岡で知り合って、一緒に飲んで馬鹿やった友達から、今日写真が届いた。楽しそうに笑う俺達がいた。また会いたいなぁ、って心から思った。次会う時はもっと大きくなった姿を見せられたらいいな。

2005年 5月 3日 (火)  大事な人がいる。
うどん屋でバイトしてた時の友達と久しぶりに会った。男4人で会ったんだけど、今はもうそれぞれ全く違う道を歩んでいる。4人の中でうどん屋を一番最後に辞めたのは俺だった。皆がいた時は店長の目を盗んでつまみ食いをしたり、小学生みたいな馬鹿をやったり、すっごく楽しかった。たまにふざけすぎて怒られたけど、みんなで怒られるから平気だった。
そして、何年も毎日一緒だった友達も一人ずつ新しい道を進む為に辞めて行った。仲のいい友達が辞めていった後は、まるで東京に来たばかりの時に戻ったみたいだった。ただ、あの頃は東京に遊びに来たんじゃない、と言う思いが強かったから寂しさもあまり感じなかったけど、仲良くなった後にみんながいなくなると、バイトがちっとも楽しくなくなった。バイトは楽しくなくなったけど、俺が働いてた5年の間に辞めて行った何人もの人達が今でも仲良くしてくれてるから嬉しい。俺が辞める日、うどん屋を辞めて行った人達が閉店間近にお店に来てくれた。そして、手作りの表彰状をくれた。くだらなく思う人もいるかも知れないが、俺にはたまらなく嬉しかった。
「大事な人がいる」、俺の曲「独りぼっちの夜明け」と言う曲の最後のフレーズだ。大事な人がいる事が何より俺の生きる力になっている。これからもずっと大事にして行きたい。

2005年 5月 4日 (水)  身勝手
今日は旅のお礼の手紙の続きを書いたり、作曲したり、編曲の勉強をしたり、次のライブの曲決めや構成を考えたり、今月レコーディング予定の新曲の練習などをして過ごした。そんな事をしてる内にあっという間に一日が過ぎて行った。
最近、テレビもほとんど見ないし、新聞も読んでない。だからニュースもあまり知らない。私生活もそれなりに充実してるし、何の不自由もない。上手くは言えないが、何となく優しさを忘れてる気がした。自分が痛みを感じていない時こそ、想像しなければならない。人を思いやる事とは想像する事だ。たまにいろんな事を想像しながらニュースを見てると涙が止まらない事がある。かと思えば、疲れてる時なんかは、無造作にチャンネルをバラエティに切り換えたりする事も多多ある。ホント身勝手だ。
 AM3:38、静かだ。時計の音と、遠くで車の音が微かに聞こえるだけだ。何か日記も何が言いたいのか分からなくなって来たので今日はこの辺で終わりにします…。それではまた明日。
  1. 最近になってやっと『頑張れ』の歌詞を覚えてきた。よく聴く曲でも、自分の声に出してみる事で作詞者の気持ちに少し近づける事を再確認した今日このごろです。 (MC一寸法師 : 2005年 5月 5日 9時 17分 44秒)

2005年 5月 5日 (木)  大事な人達へ
当たり前だけど、人が死ぬのなんか見たくない。自分の愛する人が死ぬなんて、考えるだけで、恐くてどうにかなりそうだ。出来る事なら一番先に死にたいけど、そう言う訳にもいかない。巨大な隕石かなんかが地球に堕ちて、みんな一緒に死ねたらと思う。
 俺の大事な人達へ
どうかお願いだから死なないで下さい。どうか体や事故に気を付けて長生きして下さい。俺も生きます。
  1. ありがとう。 (名無しさん : 2005年 5月 23日 9時 7分 29秒)

2005年 5月 6日 (金)  弟
昨日、事情があって、福岡の実家に帰って来ている。そこで久しぶりに弟と会った。実は弟も音楽をする為に関東の方で一人暮らしをして頑張っている。今回、たまたまGWで実家に戻って来てて、会う事が出来た。音楽を始めた根本的なものは俺も弟も同じだ。根っこは同じだけど、今は少し曲の雰囲気は違う。俺の曲よりロック寄りで、どちらかと言うと弟が作る曲にはバンドサウンドが合う。だけど、作る曲、詞の才能は俺よりあると思う。俺が弟の年ぐらいの時に、今の弟が作る曲は書けなかった。次男の特権だが、俺が先に弟の歩く道を通って来た分、弟は進みやすかったはず。
俺が高校三年の進路決定の時に音楽をやりたいって言った。その頃は毎晩の様に、親に理解して貰う為に涙流し必死だった。今となっては応援してくれてるけど、ここまで理解して貰うのに大変だった。そうやって、俺が親とやりあって来たから、弟の時は結構すんなりといけたと思う。まぁ、今さら言っても仕方ない話しだが…。
そんな感じで、目指すものも一緒だからか、弟とは何時間でも語り合える。
昔、弟が高校生の頃、不登校気味の時があった。その理由が学生時代、俺も悩んでいた事と同じだった。だから、悩んでる弟に、当時、俺が作った歌を真夜中に弟に聞かせた。たしかタイトルは「戸惑い」だったと思う。内容はタイトルの通り、その頃感じていた戸惑いを書き殴っただけの様な歌だったと思う。あまり覚えてないが「同じ様に繰り返す 無意味の様な暮らしが 僕の無力さ表してる様に思えて悔しかった」と言うような歌詞だった気がする。
今、思うと、俺が誰かの為に歌ったのは弟が初めてだったのかも知れない。
大人になった今も、こうして語り合える兄弟がいて良かったと思う。年に何回会えるか分からないけど、次会った時、また酒でも飲みながら語り合いたいものだ。

2005年 5月 7日 (土)  無力
例えば、大切な人が俺が経験した事ないくらいの苦しみや悲しみに出会った時、その人の為、自分に一体何が出来ると言うのだろうか、言葉に一体どれだけの力があると言うのだろうか。
 俺はただその痛みを想い、泣きながら抱き締める事しか出来なかった。泣き叫んでいる姿を見るのは、とても辛い。だけど目をそらす訳にはいかない。守るべきものがあるから…。
  1. 人の痛みをまるっきり同じ様に感じることは不可能かもしれない。それでも人は自分の中の色んな感情や経験をフルに活かして、その人に声をかけてしまう。その言葉が役に立つかは正直わからない。でも苦しい時ってそうやって自分を思ってくれる人がいるって事実自体が助けてくれる時ってありません?(^ー^)あとその時すぐにその言葉が浸透しなくても後々響いてくる時もある。 (navi : 2005年 5月 8日 12時 9分 44秒)
  2. 続きです→言葉は単体であるんじゃなくて、その人の命が宿ってるから決して‘無’じゃない!!とあたしは自分に言い聞かせて生きています★ (navi : 2005年 5月 8日 12時 14分 35秒)
  3. dで来ました〜☆数日前からこの路上日誌読ませていただいてます、ナオは自分の思うことを言葉に表すのがとってもヘタなので人の書く文読むの好きなんです、これからちまちまカキコしてくんでよろしくですヾ(・ω・`)ノ゛=з=з (ナオ : 2005年 5月 8日 14時 5分 46秒)
  4. naviさんの言葉はいつも勇気づけられます。本当にありがとうございます。これからも応援宜しくお願いします。 (馬場雄一 : 2005年 5月 16日 2時 34分 42秒)

2005年 5月 8日 (日)  星のこころ
明日の始発の飛行機で東京に戻る。実家、福岡に帰って来た4日間、いろんな事を考えた。悩んだ。
「生まれた理由」をもう一度考えた。…やっぱりはっきりとした答えは出ない。だけど、どれだけ暗闇の中にいても俺は生きていく。

2年前、高校から7年ぐらいつるんでいた友達が死んだ。一緒に高校を卒業してから、そいつは心臓の病気で何度も入退院を繰り返した。大きな手術も何度も行った。いろんな病院を渡り、最後は故郷から遠く離れた大阪の病院で22年の人生に幕を閉じた。
 息絶えるその数日前、そいつのお母さんから東京にいる俺の所に連絡があった。昼すぎに知らせを受け、すぐに新幹線で大阪の病院に向かった。福岡からも仲間が集まった。その時にはもう意識もなく、菌が回り視力も失い、手足の先はもう腐り始めていた。助かる見込みはもうなかった。俺達は夜通し、集中治療室で声をかけ続けた。
 入院中、少しは愚痴でも聞いてやろうと見舞いに行っても、一度も愚痴をこぼす事はなかった。いつも笑っていた。その笑顔を見る度に俺は胸が詰まる思いがした。
 俺はその日始めてそいつが俺達に訴えている気がした。人工呼吸器と機械で作られた肺と心臓は規則的な運動を繰り返していた。いわゆる植物状態というやつだ。だけど、ヒゲも伸びるし、汗もかく、視力を失った目からは時々、涙が流れた。「まだ生きたい」そう訴えている気がした。俺達は涙が止まらなかった。
その数日後、友達は星になった。

その事があってから俺の中で変わった事がある。「星のこころ」という曲の中でも、言っているが「一つ違う事と言えば、自分の命投げ出す、そんな選択肢はもう僕の中にはない」、この様な歌を作っていいのか、凄く悩んだが、何故俺がこの曲を作ったか、何故日記で友達の事を書いたか、理解して貰えたら幸いだ。
上手くは言えないけど、俺が生きていく事でヤツは俺の中で生きている、そんな気がするのだ。ヤツが俺達に最後に見せてくれた姿を俺達は決して忘れない。答えは見つからなくも残された命を精一杯生きたい。俺は決して与えられた命を無駄にはしない。

2005年 5月 9日 (月)  触れ合う喜び
 福岡空港から始発の飛行機に乗って羽田に向かった。羽田から電車を乗り継ぎ東京のアパートに戻った。今日は新曲のレコーディングの事の打ち合わせと、他にもいくつか用事があったので家に着いたらすぐ、事務所に向かった。
打ち合わせ等も終わって、時間が出来たので日本縦断の旅で使ってた事務所の車の掃除をした。1ヶ月、共に日本列島を渡り、夜は共に眠った車だから愛着がある。綺麗にしてやりたい気持ちはあるんだけど、いろいろ貼り紙して回ってたからテープの跡が…。シンナーみたいなモノを買ってきて一生懸命事務所のみんなにも手伝って貰ってやったけど、なかなか取れず、今日は3分の2ぐらいで断念。続きはまた今度。

旅から帰って来て言われる事がある。よく話すようになったって言われる。旅で何百人もの人と触れ合い話して来たから、人みしりがなくなった。お店とかでも、今までは店員と話す事なんてまずなかったけど、普通に話したり出来るようになった。友達からは「デビューして、変わったね〜」って皮肉めいて言われたりもするけど、今はいろんな人と仲良くなるのが凄く楽しい。今は人間が大好きだ。

2005年 5月 10日 (火)  夜ごはん
どこかで夜ごはんを食べようかとバイクでふらふらしてたら、以前働いてたウドン屋の社長にたまたま会って、今月に入って店がヒマだって聞いたので、せっかくだから、そのバイトしてた店に食べに行った。一人で客席で食べても寂しいので、厨房の中のいつもまかないの時使ってたスペースで食べた。
しばらくみんなと話しながら食べてたんだけど、店が少し混んで来て、大変そうだったので思わず私服のまま手伝ってしまった。3ヶ月くらい前に辞めたんだけど5年間も働いてたので全然覚えてた。で、楽しくて最後まで働いてしまった…(笑)
と言うことでメシ代はタダになりジュースもご馳走しと貰ってラッキーって感じだった。
入ったばかりの時、店長に「千切り出来る?」って聞かれて、「千切りって何?」って感じだったんだけど、和食も置いてる店だから、辞める時には、穴子や鰹とかもさばける様になってて楽しかった!料理なんかちっとも興味なかったけど意外と自分に合ってるかもって思ったよ。
って感じで、しばらくマジメな日記ばかりだったので今日は気楽に書いてみました。それではおやすみなさい。

2005年 5月 11日 (水)  アンテナ
AM4:00帰宅。 今日は昼間いろいろとやる事があって歌えなかったので、カラオケボックスにギターを持ち込んで17日(火)のライブの練習を3時間ほどやって来た。先月末にやったライブで結構話したから来週のライブのMCのネタ切れだ。なるべくいつもアンテナを立てて何かを感じようとはしてるんだけど、なかなか…。
まぁ、その問題は置いといて、本番と同じ感じで、立ってギター弾いて、精一杯3時間歌って来たから、ヘトヘトです…。
今日は何も考えずこのままベットに横たえたまま眠ろう…。おやすみ。

2005年 5月 12日 (木)  バビシタロウ
今日、何したっけ…て感じの一日だった。家で、相変わらず曲作ったり、ライブの構成練ったり、旅のお礼の手紙書いたりと地味な作業ばかりして過ごした。だから、日記に書く程の出来事がなかった気がする。
と言うことで、今日は俺が子供の時の話しをしよう。たまに実家に戻った時に小学生の時の文集とかを見る。自己紹介のページで好きな食べ物 コーンスープと書いてた。だから誕生日とかにはよくコーンスープを作って貰った。
自己紹介のコーナーは何でも書いて良かったみたいで、好きな色とか、好きな言葉とか、みんな自由に書いている。で、俺は「特技」って欄を作っていて、何を書いてるのかと思ったら「特にナシ」って書いてあった。じゃあ書くなよ!自分で突っ込んでしまった(笑)
「将来の夢」 漫画家。 そう、小学生の時はずっと漫画家になりたかった。低学年の時の夢は絵描きだったし、とにかく絵を書くのが好きだった。賞をとった事もある。教科書やノートは落書きだらけだった。小学4年ぐらいの時から漫画を書いていた。「バビシタロウの大冒険」って題名。内容はバビシタロウって言う主人公が冒険をしながら現れる敵を倒していくって言う良くありがちな話。で、怒るとスーパーバビ星人になって強くなる。明らかに「ドラゴンボール」に出てくる「スーパーサイヤ人」のパクリだ。だけど当時は自分のオリジナルと思って書いていた(笑) 書いた漫画はクラスの友達に回したり、教室の後ろの掲示板に貼ったりしてた。登場人物でクラスの友達を出したりして、結構好評だった。
主人公の「バビシタロウ」ってキャラクターは漫画を書かなくなってもいろんな所で書き続けた。高校の友達はもちろん、バイトの友達、事務所の仲間も結構知っている。
「漫画家」という夢は高校に入り「学校の先生」という夢に変わった。別に勉強を教えたかった訳じゃなくて、悩んでる子供達と真正面から向き合う熱血先生になりたかった。その夢は高校3年の最後、受験寸前まで続いた。受験寸前で音楽をやる決意をしたから、当然親は諦めきれず、とりあえず受験だけはしてくれと言うことで、一応センター試験は受けた。と言うことに親の手前なってるが、実はセンター試験の休み時間が長かったので、もう大学に行く気のなかった俺はたえきれず試験会場から一人抜け出して付き合ってた彼女の家に遊びに行った。
と言うことで大学なんか受かる訳もなく、卒業後、音楽の道を進む事になり、今に至る。
まだまだいろんなエピソードがあるが、とりあえず今日はここまで。続きはまたいつか。

2005年 5月 13日 (金)  ライブに向けて
17日のライブでやるつもりで選んでた曲をほとんど変更した。ずっと悩んでたんだけど、最初に選んでた曲じゃ先月末にやったライブよりいいライブは出来ない気がした。こないだ来てくれた人達をガッカリさせる訳にはいかない。また初めからやり直しだ。MCや曲順を練り直す。歌詞も覚え直す。
今月末には地元福岡でワンマンライブをする予定だ。そこでは1時間以上、十数曲歌う。17日のライブが終わり次第、準備にかからなければ間に合いそうもない。後半はレコーディングもする予定だし忙しくなりそうだ。好きな事して生きられている境遇に感謝をしよう。幸せだなぁ。
  1. こんにちわぁ♪馬場さん!!名古屋にも来てください。馬場さんのライブに一度行きたいです(・☆・)受験勉強をしながら馬場さんのCDを聞いて勇気付けられています☆体に気をつけてください!! (P歳の女子高生 : 2005年 5月 14日 3時 39分 15秒)
  2. 6/23に名古屋でライブをやる予定にしてます。はっきり決まったらホームページに乗せるのでチェックしてくださいね。そのときはぜひ足を運んで下さい。 (馬場雄一 : 2005年 5月 16日 2時 29分 15秒)

2005年 5月 14日 (土)  ストリートノイズ
今日は友達がやってるストリートミュージシャンのチーム「ストリートノイズ」を見に行った。4、5人のストリートミュージシャンが一人二曲ずつ歌って交代していく。音源を流してバラードを歌う人もいれば、ギターでノリノリの弾き語りをやる人とか、いろんなジャンルの人が出るので見てるお客さんも飽きないでいい。
代々木公園で毎週やってるとは聞いてたんだけど、実際行くのは今日が初めてだった。代々木公園だから代々木駅で降りたらすぐだろうと思ってたんだけど甘かった。実際は原宿駅を降りたらすぐの所なんだけど、代々木駅からは歩くと大分あった。いや〜、あれは代々木公園じゃなくて、原宿公園にするべきだよ。東京ディズニーランドが千葉にある様なもんだよってストリートノイズの友達に言われた。そっか、納得。
代々木公園を探し回って、やっと到着。その5分後ぐらいに、ゲスト出演って事になった。ただ見学に行っただけのつもりだったから、その展開の速さにびっくり。と、言う事で急遽歌う事になり、結局、ストリートノイズのローテーションに加わって、イベントの最後までやらして貰った。俺の事を知ってくれてたお客さんもいた。ラストに友達と一緒に俺の「桜」を歌った。急に一緒にやる事になったにもかかわらず、その友達は「桜」の歌詞を完璧に覚えてた。それがとても嬉しかった。ありがとう。
そんなこんなで、当初の予定とは大分違ったけど、すごく楽しくて、ホントに行って良かった。ストリートノイズのみんなが良ければまた参加させて下さい。いや〜、ホントに楽しかった!

2005年 5月 15日 (日)  生きた言葉
最近、音楽を聞いてなかった。と、いうより、ここの所聞きたい音楽がない。俺の場合、歌詞を重視して聞くのだが、「うまい表現するな〜」とか感心する事は結構あるんだけど、心が揺さぶられる程感動する曲に最近出会ってない。
今日、4枚程アルバムを借りてきた。どのCDも得るもの、勉強になる所はある。だが大きな感動はない。
偉そうな批評をしているが実際俺に出来てるかと言えば、疑問だ。去年も30曲以上作ったが、納得のいった曲は2、3曲だ。後の曲は1年後にはもう歌われてないだろう。それくらいのものだ。
きっとホントに伝えたい事はいくつもないと思う。ただそれを何千、何万の方法で表現して壊してはまた作る。。
昔、「俺の夢を完璧に成し遂げてくれるシンガーがいたら、俺はマイクを置いて、そいつの歌に夢中になるだろう」と歌ってたシンガーがいた。そうかも知れないと思った。ただ何時の時代も希望を与える作品は作り続けないといけないのかも知れない。
小手先で作っただけの歌は歌いたくない。心の底から生まれた、生きた言葉を伝えたい、そう思う。

2005年 5月 16日 (月)  1800円
白々と明けていく空。新聞配達のバイクとすれちがう。明日のライブ、いや、今日のライブのリハを終えて家路を辿る。只今AM4:34。ようやくアパートに到着。
今日は昼から事務所に行き、23時前まで色々作業をして、それから場所を移動して翌日のライブのリハを行った。まだまだやるべき事はある。1800円のお金を払ってお客さんに来てもらうから、それだけのモノを見せなければならない、与えなければならない。
ホントに月末は忙しい。新曲のレコーディングに、新曲「花火」の手直し、明日のライブに、28日の福岡でのワンマンライブ。やりがいがある!!
AM5:00、とりあえず寝るか…
  1. 今日の池袋のライブ。1800円を払った価値はあった。結局他のライブは見ないで帰ったけど、俺にとって1800円の価値はあった。どうしてあそこまで真剣さを前面に全面に出してライブ出来るの?そんな事を考えながら拝聴させてもらったよ。今日もいい刺激になった。ライブで馬場君が何度も言っていた言葉、今は俺から言わせてもらう、『ありがとう』。 (MC一寸法師 : 2005年 5月 17日 7時 55分 38秒)
  2. せっかく福岡にライブに来るのに用事があって見にいけません。残念です。必ずまた福岡に来てまっすぐな姿勢の歌を聞かせてください。 (筑豊人 : 2005年 5月 17日 9時 7分 52秒)

2005年 5月 17日 (火)  レベルアップ!?
ようやく人前で歌う事に慣れて来た。ライブ中、歌っててそう思った。少し余裕が出来た分、伝えると言う事に集中出来た気がした。
と、思ってたけど、今録音したMDを聞いてみると、結構粗があって反省…。ピッチやテンポには相変わらずムラがあるけど表現力はレベルアップしている。自分で言うのもどうかと思うけど…。
今日は、日本縦断の旅の時のスタッフのN君や、旅中、長野でお世話になったNさんが見に来てくれた。自ずと歌にも力が入った。
前回同様、「独りぼっちの夜明け」を最後に歌った。「大事な人がいる」と歌ってる歌なので、今、一番伝えたい内容だ。伝わっていたらいいなぁ。
その「独りぼっちの夜明け」の歌詞がホームページのトップページにある歌詞の所で見れるので良かったら見てみて下さい(携帯からの人は見れません、ごめんなさい)。ちなみにその歌詞のバックにある写真は旅中、福岡で路上ライブした時の写真です。撮影者は俺の友達で、「桜」の歌詞に登場する、俺の為に泣いてくれた友達です。使わせて貰いました。
そんな感じでライブは一応、成功に終わりました。旅で出会った人達からも応援のメール貰ったりして、嬉しかったです。ありがとうございました。

2005年 5月 18日 (水)  手直し
新曲の「花火」、2度程ライブでも歌ったけど、レコーディングの前にもう少し手直ししなくちゃいけない。その手直しをした。何度も作っては壊す。そうして何度も生まれ変わっていく。新曲が出来たら事務所に持って行って会社の人に聞いてもらうんだけど、1回でOKが出る事はまずない。大体どこかダメだしをされる。だけど、俺が曲を持っていく時は自分で何度も作り直した末、納得した曲を持って行くから、ダメだしをされた時はショックだし悔しかったりする。すぐに素直に受け入れられないのが俺の悪い所だ。
以前いた事務所では、よくディレクターとケンカしていた。徹夜して作って来た曲を途中で止められ、鼻で笑われて「はい、作りなおし」とか言われると、さすがにカチンと来て、言い返したりしていた。
だけど今いる事務所の人達はすごく真摯に向き合ってくれるし、意見も聞いてくれる。何も分からない新人の俺の言葉にも耳を傾けてくれて本当に感謝している。いい人ばかりだから事務所に行くのはすごく楽しい。明日も用があって事務所に行く。楽しみだ!
只今AM3:40。少し話しはそれたが、もう少し「花火」の手直しをしよう。それでは。
  1. 花火応援してます。 (るん : 2005年 5月 19日 9時 37分 47秒)
  2. 花火って、曲のテーマとしてはとても面白い題材だよね。大きな打ち上げ花火を豪快に歌いあげる人もいれば。馬場君のようにしんみり歌う人もいる。繊細かつ豪快に。まさに馬場君に合ったテーマだと思う。 (MC一寸法師 : 2005年 5月 19日 12時 3分 13秒)
  3. 「花火」自分では名曲だと思ってます(笑) (馬場雄一 : 2005年 5月 23日 2時 16分 0秒)

2005年 5月 19日 (木)  仮歌
藤岡 弘、さんのCDリリースの企画がある。今日はその企画のお手伝いとして参加させて貰った。
お手伝いの内容とは、今日、藤岡さんがレコーディングする曲のガイドボーカル(仮歌)を藤岡さんが来る前に俺が歌ってレコーディングする。それをもとに藤岡さんが歌う。2曲とったんだけど、俺が曲を聞いたのは今日が初めてだ。それをすばやく覚えてレコーディングする。…ハズだったんだけど、これが結構覚えられなくて大分苦戦してしまった。早い人はすぐに覚えられるらしいのだが、俺はどうも苦手らしい。普段、レコーディングする曲は自分が作った曲だから、メロディが多少変わっても、それはそれで正解だったりするが、今日の場合はそうは行かない。音程はもちろん、細かい音の長さまで正確に歌わなきゃならない。いやぁ、難しかった。人の曲を完璧に歌うのがこんなに大変だなんて知らなかった。
そして、藤岡 弘、さんが登場。…強そうだ。それが最初の印象だ。プロフィールを見ると刀道、居合道、柔道、空手、護身道などの有段者らしい。強そうなわけだ…。
レコーディング終了後、藤岡さんの前でギターを弾いて俺の曲を聞いて貰った。スタジオで俺と藤岡さんと付き人さんの3人だった。藤岡さんはずっと目をつぶって聞いてくれていた。すごく感動してくれて、叱咤激励してくれた。藤岡弘、さんありがとうございました!
今日はすごく楽しかった。ぜひまた一緒させて貰いたい。
そして今日は歌に課題が残った。もっと頑張らないとな。頑張ります!
  1. 始めまして!前に代官山のライブ偶然に友達に誘われて行って見ました♪私も音楽系の仕事していて、たまに仮歌も録るんだけど大変だよね。お互い頑張りましょう! (幸 : 2005年 5月 21日 8時 32分 6秒)
  2. ありがとうございます。地道にコツコツ、苦手だけど頑張ります! (馬場雄一 : 2005年 5月 23日 2時 13分 52秒)

2005年 5月 20日 (金)  Nちゃん
先日、以前バイトしてたウドン屋に夕飯を食べに行って、その時にたまたま店が混んだので少し手伝って来たという話を日記に書いた。その後に店の店長から、人手が足りないから暇な日だけでも手伝いに来て欲しいという話しがあった。だけど、今月は結構やる事が多いので断わろうと思っていた。
ところが2日前にウドン屋の女の子Nちゃんから、「店長が包丁でかなり深く手を切ったんだけど、人がいないからかなり我慢して頑張ってたから、どうか助けてやって下さいっ」というメールが来た。バイトの女の子にそんなに心配して貰えて店長は幸せだなぁと思った。
という事で、今日はウドン屋の手伝いに行って来た。で、そのNちゃんに会って言われた事がある。「こないだのライブの後、私達と飲みに行ったからホームページの日記に私達の事、書いてくれると思ったのに〜」って残念そうに言われたから今日はNちゃんの事に少し触れとこう、また言われるから(笑)
Nちゃんとは俺が5年前、東京に出てすぐウドン屋で知り合った。だから東京の友達では一番古い付き合いじゃないかと思う。だから俺の髪がまだ長い時や東京に怯えて心を閉ざしてた時も知ってる。東京の人への猜疑心はNちゃん含め、ウドン屋で出会った心ある人達によって晴れて行った。
東京に出てきてずっとそのウドン屋で働きながら夢を目指し少しずつ前進して来たから、俺にとってそのウドン屋での日々は大きなものだったんだけど、Nちゃんもそのウドン屋が大好きらしい。本人が大好きと言った訳じゃないが分かる。だってNちゃんは過去5年の間に2度ウドン屋のバイトを辞めた。で、今バイト3回目だ。過去2回、Nちゃんが辞める度に送別会をした。2回目の送別会で泣いてたのに、また同じトコで働いてる。あの涙は一体何だったんだ(笑) と、いつもはからかっているんだけど、本当はとても素敵な事だ。たかがバイトと割りきる人も多い中で人と人の付き合いが出来てる証拠だ。東京は人の出入りの多い街だから人との別れとかに慣れてしまってる人も少なくない。だけど東京にもNちゃんみたいな人もいる。東京もすてたもんじゃない。
…これぐらい書けばNちゃんも満足してくれるかな(笑)。まだまだ書く事はたくさんあるけど、もう夜も明けてきたので今日はこのへんで…。

2005年 5月 21日 (土)  理想
事務所の仲間と飲み会だった。そこで言われた事がある。理想を求め、そこに近づこうとする俺は強いと。弱い人間は理想を掲げて裏切られるのが怖いから現実を受けとめ割り切って生きるものだと。何も返す言葉がなかった。そうなのかも知れない。確かに俺は今、幸せだし、前を見据えて生きて行けてる。ただ人の痛みだけは分かる人間でありたいと願う俺の胸にその言葉は深く突き刺さった。話しを聞くと、みんなそれぞれに色々苦しみを抱えている。俺にどれだけ分かるか分からないけど、なるべく沢山の人の痛みを理解出来る、そんな人間でありたい、心の底から思う。
これだけじゃ日記を読んでくれてる人は何の話しをしたのか分からないとは思うが、とりあえず思ったまま書きました。では。

2005年 5月 22日 (日)  昨日の言葉
やっと、新曲「花火」の手直しが終わった。明日、事務所に持って行ってこれでOKが出たらいいのだが…。
こないだ藤岡弘、さんのCD企画の仮歌を歌わせて貰った時、あまりにも歌えなかったので、今日は初心に返りボイストレーニングをした。家でボイトレをするなんでいつぶりだろう…。実は俺はこういう地道にコツコツってのがすごく苦手だ。だから家にいると、どうしても曲作りとかを優先してしまう。後、今週の土曜日の地元福岡でのライブの練習をした。10曲以上歌う予定だから、歌詞を覚えるだけでも大変だ。1回通して歌うだけで1時間以上かかる。そんな事をしながら今日は1日、家の中で過した。
今日ずっと頭から離れない事がある。昨日の飲み会で、友達が言っていた事がずっと頭の片隅に残っている。普段、明るい子が「たまに死にたくなる」って事を冗談半分だと思うけど言っていた。全然平気だとは思うんだけど、サラリと聞き流せる程その言葉は軽くない。メールで少し触れてみたけど、いつもと変わらない様子だった。だけど、人の心って脆いもので、俺もそうなんだけど凄く気持ちに波がある。日差しが気持ちいいだけで、生きる喜びを感じられたり、かと思えばカーテンの隙間からのぞく静かな暗闇に気がおかしくなる程寂しさを感じたりする。やっかいなものだ。
昨日、飲み会の帰り道に酔っぱらった頭で書きなぐった詞がある。最後にそれを紹介しよう。
「どんなに傷付いたって構わない 君の胸の痛みの分かる人間になりたい…」

2005年 5月 23日 (月)  送別会
手直しした新曲「花火」を事務所に持って行ってアレンジャーの人に聞いて貰ったら、OKが出たので、その曲を編曲してレコーディングする事になった。良かった。
そして、夜に以前バイトしてたラーメン屋の人の送別会があったので、顔を出した。一次会は居酒屋で、二次会がカラオケだった。事務所の帰りで丁度ギターを持ってたから、まさかとは思ってたけど、やはりカラオケで弾き語りをする事になった。「桜」と「頑張れ」を歌った。まぁ、俺の歌を聞きたいと言ってもらえる事に感謝しないとね。
送別会なので最後にはやっぱりお別れが待っている。辞めていく人が最後に涙を浮かべて言った言葉が胸にきた。「みんなと一緒に働けて幸せだった」と。辞めて田舎に帰る年輩の人だから次はいつ会えるか分からない。俺も3ヶ月前に辞めたんだけど、俺も本当にみんなと働けて良かったと、そう思わせる職場だった。
つくづく思うが、俺の周りには本当にいい人が多い。こんな俺の傍にいてくれる人達に心から感謝している。だからこそ、大切にしたいと思うのだ。
  1. 気の悪い人には気の悪い人しか集まらない。馬場君の周りにいい人が多いというのなら、それは馬場君自身がそういう雰囲気、オーラを持つ人だからじゃないかな? (MC一寸法師 : 2005年 5月 25日 10時 30分 19秒)

2005年 5月 24日 (火)  祈り
「ゆず」や「コブクロ」という路上から出てきたアーティストがTVとかで活躍してるのを見ると少し焦る。ゆずのライブを去年みた時も随分差をつけられた気がした。そして今日テレビでコブクロを見た時にも同じものを感じた。だけど同じ位置から始めた人達がそんな風に活躍してると焦りと共にやる気も出たりする。やってやる!!

話しは変わるが、今日、友達と話しててふと思った事がある。俺みたいにいい人に恵まれてなくて、立ち直れないぐらいに何度も裏切られ、傷つけられ、救いもない人はどんな風に生きればいいのだろう…。一番痛いのはそんな時に感じる孤独だ。苦しい時、傍に同じ思い抱えてる人がいるだけで苦しさは半減するものだ。もしくは一生懸命自分の痛みを分かろうとしてくれる人がいれば生きて行ける。もし、そういう人がいない人がいたら、いや、この世界の何処かにそういう人がたくさんいるだろう。そういう人達を歌の向こうに見据えながら歌い続けよう。気休め程度にでも、俺の歌がそんな人達の一筋の光になればいい。そしていつかそんな歌が必要じゃなくなる事を祈りながら…。
  1. やっぱり自分は一人なんだと強く孤独を感じる時が予測不可能におそってきます。そんな時助けてくれるのは歌だったり、誰かの残した言葉だったり、昔自分が書いた日記だったりする。同じ様な言葉も違った角度や言い回しでそ予 (navi : 2005年 5月 26日 2時 11分 11秒)
  2. 続きです→言い回しでその時自分が受け入れるものになったりならなかったり。勝手かもしれないけどいつの時代もそんな言葉や歌が求められてる気がします。切ないですね・・・ (navi : 2005年 5月 26日 2時 15分 16秒)
  3. 俺も大した人間じゃないけど俺の歌がほんの少しでもnaviさんの不安を和らげる事ができたら嬉しく思います。同じ気持ちで生きてる人がいる事忘れないでください。 (馬場雄一 : 2005年 5月 29日 17時 45分 5秒)

2005年 5月 25日 (水)  ライブに向けて
友達のライブを見に行った。自分のライブ前は人のライブを見ると勇気付けられて良い。今日、見に行った友達は、以前俺のライブのサポートでピアノを弾いてくれたKちゃんだ。Kちゃんの他に3組出ていて、いい所は見習って、悪い所は自分も気をつける。今日も勉強になった。
そのライブを参考に、帰ってから自分のライブの練習をした。夜はアパートじゃ歌えないので、行きつけのカラオケボックスにいつもの如く、ギターを持ち込んで練習をする。今週末の福岡でのライブはワンマンライブなので1時間以上のステージとなる。だからいつもは歌わない様な曲も披露する。曲数も多いので歌詞を覚えるだけでも大変だ。3時間程歌って練習終了。これ以上歌うと、明日のレコーディングに影響する。いや、もう夜が明けてきたので今日だ。今日、録る曲は「独りぼっちの夜明け」のボーカル。それと新曲「花火」を軽く感触を確かめる程度録る予定。
AM5:13。あと数時間後にはレコーディングだ。それでは消灯。

2005年 5月 26日 (木)  レコーディング
レコーディングだった。「花火」を軽く弾き語りで録った後、「独りぼっちの夜明け」のボーカルを録った。やはりピッチのばらつきはあるが、気合いは入れまくった。感情は上手く表現出来たと思う。思ったより、早く録り終わったが、最初から全力で歌ってたので終わった後はヘトヘトだった。
でも早く終わったので今日もカラオケボックスでライブの練習をした。結構頻繁に行ってるのでカラオケの店員とも顔見知りになっていて、今日は1時間無料にしてくれてジュースもご馳走してくれた。何度か通してリハを行ったけど、さすがに昼間レコーディングで歌ったから、声が枯れてきたので2時間で終了。今日はよく寝れそうだ。

2005年 5月 27日 (金)  帰省
明日は地元の福岡でライブなので、今日飛行機で実家に戻った。ギターや物販のCDを荷物と一緒に持って帰って来たから結構重くて疲れた。
家に着いてからしばらくして中学時代の友達が家に来たので、そいつと夕飯を食べに行った。ポークスペアリブを食べたんだけど、着ていた白いシャツに気付かない内に結構汁を溢していた。長袖はそのシャツしか持ってきてなかったのに…。そう俺はよく食べ物とか食べカスとかを溢す。旅の途中でも一緒に旅をしてたNくんに指摘されたし。なんでだろう…。
そんなこんなで、もう夜が明けて来た。実は寝ようと思ってたけど、日記を付けてない事を思い出して慌てて書いてます。忘れてて、寝る前になって思い出すのはしょっちゅうだ。そしてショックを受ける。だからたまに寝惚けてる。そして今も…。
明日はライブだ
  1. 昨日韓国から帰国して久しぶりにこのサイトを見たら、九州に帰っているんですね。元気そうで何より。頑張っているようですね。応援しています。 (金沢のとしくん : 2005年 5月 29日 8時 38分 0秒)

2005年 5月 28日 (土)  ワンマンライブ
初めてライブハウスで1時間以上に渡るライブをした。歌った曲数は全部で10曲とアンコールでの1曲だ。曲数が多いから苦手なアップテンポの曲も入れて行った。今までライブでやった事のない曲も2曲やった。時間が長いので色々考えてやったつもりが、まだまだ自分のライブを自分で上手くプロデュース出来てない部分があった。後半、同じくらいのテンポの曲が続きすぎたので少しお客さんがまったりしてしまった気がする。まぁ、まだまだいいライブが出来るって事だ。
「故郷の風」からライブを開始した。この曲は東京から故郷の事を思った歌で「友よ家族よ 次会う時は胸を張ってただいまと言うつもりだ」と歌っている。2曲目にデビュー曲の「桜」を歌った。そしてライブでやった事のないアップテンポの曲を続けて2曲やり、「花火」「泣き虫」とラブソングを歌った。6曲を歌い終わり、そこからは少しセッティングを変え、座って歌った。「生きる事に苦しむあなたへ」「星のこころ」、と命の重さを歌う歌を披露。そして一人住まいの母親に作った曲「故郷(ふるさと)」を歌い、残り1曲となる。一応、自分なりに今回のライブはこだわってストーリーの様な流れを作って来た。それが少しでも伝わったならいいが…。大まかに説明すると、序盤「桜」で「死にたい」と歌ってた俺が、中盤「生きる事に苦しむあなたへ」「星のこころ」で「もう二度と死ぬなんて口にしない」「自分の命投げ出す そんな選択肢はもう僕の中にはない」と歌った。そして最後に「独りぼっちの夜明け」で「格好悪くても生きていたい 大事な人がいる」と歌った。「死にたい」から「生きたい」に変わって行った俺の人生をそのままライブで表現したかった。そして、そんな風に変わって行ったその理由に気付いて欲しかった。届いてる事を願う。
その後、高校の友達やバイト時代の友達と打ち上げに行った。久しぶりにいい仲間と集まって飲む酒は美味い!!その中には「桜」の歌詞に出てくる友達や、高校時代から上京するまで俺と一緒に路上ライブしてた友達もいる。またいつか一緒に路上ライブやりたいなぁ。その頃の路上ライブを録音したテープが何本かある。たまに聞くと面白い。

いや〜、いつもライブの後はぐったりしてるんだけど、やっぱり今日はいつもに増して燃え尽きたな。と言うことでおやすみ。
  1. 故郷の風はいいねぇ。とてもいい。ライブの1曲目としては最高の選曲だと思う。 (MC一寸法師 : 2005年 5月 29日 11時 31分 17秒)

2005年 5月 29日 (日)  緩やかな時間の中で
明日は始発の飛行機に乗って東京に戻る。だから今日は空港の近くで友達と朝まで飲んで、そのまま帰るつもりだ。ただ友達が朝まで付き合ってくれるかどうか…。
いつもは1日の終わり、寝る前に日記を付けてるんだけど、今日はまだ夕方。たぶんこれから朝まで飲むから、その後に日記を付ける気力はないと思うので今付けてる。
前に帰ってきた時にも思ったんだけど、東京と違って、実家の周りは凄く田舎だから、凄く時間が緩やかに感じる。友達と会っても地元で落ち着いてるヤツばかりで、のんびりしてるヤツらばかりだ。人間的には大好きなヤツばかりなんだけど、夢に向かって頑張りたい人には不向きな環境だ。ホントに風景や人間、聞こえてくる音、全てから温さを感じる。上手くは言えないが、もし俺がここにいて音楽を続けても生まれるものは少ないと思う。やっぱり、夢や野望をもった人がうごめく東京で、たくさんの人にもまれ、刺激を受けて、常に違う場所を求めていく方が、俺には合ってそうだ。
前に何かで見た事があるが、詩人の「山頭火」も「静」か「動」に分類すると「動」の人だったらしい。常に動いていないと作品が生まれなかったと言う。だから晩年は旅をしながら作品を書いていたらしい。
山頭火と同じと言うのは大袈裟だが、俺も経験からしか詞が生まれてこないので、色んな事を経験し、悩みながら生きて行くのが合ってるのかもしれない。
それでは飲みに行って来ます!
  1. 俺は田舎暮らしした事がないから、その気持ちがわからないんだけど。確かにその「動」ってのは大事かもしれないね。インスピレーションって大事だよね。 (MC一寸法師 : 2005年 5月 29日 11時 29分 14秒)
  2. こんばんゎ(^□^)今日は超→偶然でビックリしました☆こんなトコに書いていとかなぁ・・ (ERI : 2005年 5月 29日 13時 36分 20秒)
  3. 一寸法師さんいつもありがとうございます。俺の歌を一生懸命聞いてくれてほんとに嬉しいです。いつか共演しましょう。 (馬場雄一 : 2005年 5月 29日 17時 49分 38秒)
  4. ERIさん、今日路上で出会って俺の弟の知りあいだった人 (馬場雄一 : 2005年 5月 29日 17時 52分 22秒)
  5. だよね?ほんとびっくりしたよ。歌うまかったよ!応援してくださいね! (馬場雄一 : 2005年 5月 29日 17時 55分 53秒)
  6. はじめまして。28日のライブお疲れ様です。仕事で遅れて歌聴けなかったけど、行った知人が「すごく良かった!」って言ってましたよ。次のライブこそは応援に行くんでがんばってください! (ホークス最強 : 2005年 5月 30日 10時 8分 17秒)
  7. ライブを観た。馬場雄一の等身大のパワーを感じた。どこか影があり、どこか折れてしまいそうな少年だった彼は、東京という街でもまれまがら、唄というものでここまで強くなった。一曲、一曲を魂をぶつけるかのようなそのパワーに私は震えた。箱というライブハウスの空間で音と声で自己表現をするありさまは、痛いくらいの情熱を感じる。故郷の風とぼそっとつぶやいて、歌いはじめた彼の姿は、まるでこの私に、そしてこの福岡という (ろうにんあじ : 2005年 5月 31日 0時 32分 33秒)
  8. 故郷にたいしての挑戦にも感じる。おまえら、見ろ!俺をみろ!それは、かつての死にたいと泣き沈んでた過去の自分にたいしての挑戦だ。そして彼にあれだけ東京の街を語り、東京という街に幻滅を抱きこの街で以前とは違う価値で生きる意味を見出してる私に対しての挑戦だ。それでいいと思う。なまはんかな道ではない。すべてを認めるほど、ものわかりのいい大人じゃなかったからこそ、そのもどかしい力で (ろうにんあじ : 2005年 5月 31日 0時 39分 52秒)
  9. たどりついたのだもの。私も先行きの見えないこの道を、確かな道とする為にがんばらなくてはいけない。道は違うが、生きなければならないそのベクトルは対等だとも。花火のCD化をぜひ期待する。 (ろうにんあじ : 2005年 5月 31日 0時 45分 9秒)
  10. ホントにありがとう。あの時、いやあの時だけじゃない、俺の夢に対する挑戦をずっと見守ってくれた。涙を流してくれた。だから俺は歌いつ (馬場雄一 : 2005年 6月 1日 11時 57分 40秒)
  11. 歌い続けてられる。こんなとこで言うのも恥ずかしいがありがとう。 (馬場雄一 : 2005年 6月 1日 12時 0分 24秒)

2005年 5月 30日 (月)  頑張ります!
AM7:20福岡空港出発。今日は朝まで友達に付き合って貰った。結構色んな事を考え直したいい飲みだった。
帰ったらすぐ事務所に行かなければいけないので、飛行機の中で少し寝ようと思ってたけど、凄く風が強くで飛行機が揺れまくった。俺の席は窓際で、丁度右翼が見える所だったから、ずっと窓から右翼を見てたらホントに風で取れそうだった。いやぁ、初めて飛行機が怖いと思った。もし羽根が取れたらどうすればいいかなぁとか考えてると寝れなかった(笑)
帰ってから事務所に行って、途中だった旅のお礼の手紙を終らせた。
最近、色々と動いてるから少し曲作りが遅れて来ている。AM0:00頃から曲作りを開始。AM2:30、ある程度全体の曲が仕上がった。これから少し歌詞のイメージを作って行く。次のライブまでには絶対に仕上げたい。ライブで何か新しいものを見せていかないといけない。みんなの期待を裏切りたくはない。頑張るのでみなさん応援よろしくお願いします。
  1. 5月28日のライブを見た。熱いステージに胸が熱くなっていくのがわかった。 (君作 : 2005年 5月 31日 10時 25分 28秒)
  2. 魂を込めた歌声。等身大の自分の思いをのせた彼の音楽は、小さなライブハウスの中であるれんばかりに感じることができた。彼の表現する音楽には何か強く訴えるものを感じる。どことなくスマートで人間臭さ感じさせない現代の音楽に、新しい風を吹き込んでくれる様なそんな期待感さえ覚える。 (君作 : 2005年 5月 31日 10時 41分 7秒)
  3. ライブ後半、私は少し涙が出そうになった。言葉ではいい表せない複雑な感情がこみ上げてきた。彼が書いた歌詞の内容の心境がわかるからなのか、それとも彼の今回のライブのストーリーを無意識のうちに感じ取ったのかもしれない。そして私はまた、最後の曲に生きる活力をもらった。 (君作 : 2005年 5月 31日 10時 59分 11秒)
  4. 地元九州で熱いライブを届けてくれた馬場雄一に感謝するとともに、彼の今後の作品と活躍に期待したい。 (君作 : 2005年 5月 31日 11時 7分 47秒)
  5. 魂を込めた歌声。等身大の自分の思いをのせた彼の音楽は、小さなライブハウスの中であふれんばかりに感じることができた。彼の表現する音楽には何か強く訴えるものを感じる。どことなくスマートで人間臭さを感じさせない現代の音楽に、新しい風を吹き込んでくれる様なそんな期待感さえ覚える。 (君作 : 2005年 5月 31日 11時 11分 2秒)
  6. 福岡でライブが出来て良かった。5年前まで毎週一緒に路上で歌ってた頃の情熱覚えてるか。俺の夢の始まりはお前とだったな。書き込みサンキューな!俺は今涙が出そうだよ。 (馬場雄一 : 2005年 6月 1日 12時 15分 30秒)

2005年 5月 31日 (火)  「生まれる場所間違えた天使」
昨日の夜、作った曲に詞を付けていく。人の中には心が綺麗すぎて上手く生きれない人がいる。そして心の病になってしまう人もいる。俺の縁がある所でも、そういう人に出会ったり、そういう人の話しを聞いたりする事がたまにある。そんな話しを元にいろいろ考えながら歌詞を書いた。今日は一番だけ出来た。タイトルは「生まれる場所間違えた天使」。俺にしては珍しく長いタイトルだ。
恋愛の話しを通して表現しようと思ってる。俺は大体、実体験を元にしておもに歌詞を書いているから、経験の少ない俺は恋愛の曲があまり多くない。だから今回の曲に出てくる「僕」は俺じゃない。俺の友達が以前、心の病気の女の子と真剣に向き合い付き合ってた時の話しを元に書いた。もちろん当人じゃないので、俺の視点で書いた所もあるが…。せっかくだから歌詞の一節を紹介。「僕らが再び何処かで出会い 君が笑って生きてたら 僕はきっと嬉しくて嬉しくて泣いてしまうよ きっと」
俺の友達は、苦しんでリストカットする女の子に「君が死にたいなら一緒に死んでもいい」そう言った。世の中にはそんな人もいる。今は訳あって音信不通になってるらしい。以前、俺もその女の子に会った事ある。何処かで元気に生きている事を心から願う。
  1. 昨日タワーレコードに行ってきました^^ CD見つけて即買い★ (ERI : 2005年 6月 1日 20時 15分 35秒)
  2. 「生まれる場所間違えた天使」早く聴きたいです。楽しみにしてますo(^o^)o (ERI : 2005年 6月 1日 20時 16分 45秒)
  3. ホント!?ありがとう!福岡でライブやるときにはぜひ見に来てね。今新曲のレコーディングしてるのでお楽しみに! (馬場雄一 : 2005年 6月 6日 4時 58分 41秒)


戻る

wwwnikki ver 0.750(20050216) (c)AuSYSTEM 2005